【大鹿村中央構造線博物館@】
2016年8月11日(木)



ブロ友のグリガーさんと長野で石掘り。
その合間に立ち寄った
大鹿村の中央構造線博物館というところが気に入った。



この博物館のコンセプトは
日本列島を縦断する大規模な断層
名づけて「中央構造線」の
真上に位置し
来訪者にその観測をさせたり
メカニズムを伝えたりする
ジオパーク施設であるということ。



中央構造線が形成されたプロセスはまだ解明されていないが
中央構造線を境に隣接する二つの地質は明らかに異なり
それぞれの形成された年代は同じだが
もともとは距離にして60km
高さにして20kmも離れた場所で形成されているのだという。



この二つの地質が
中央構造線を形成する原因となる大規模な断層活動によって
隣り合わせになるという結果になったのだ。

なんとも壮大な地殻の動きに思いを馳せつつ、ういーん。



写真向かって左から
領家帯、中央構造線、三波川帯、秩父帯、四万十帯。



中央構造線を挟んで左側を内帯と呼び
右側を外帯と呼ぶが
どちらの地質も簡単に言うと
どれもこれも元々はユーラシアプレートの下に
フィリピン海プレートが沈み込んでいくときに
削られたカスがたまったもの。

要するに
神国日本は基本的に
プレートの削りカスでできているわけ。



領家帯は
花崗岩マグマが入り込んでできた
高温型の接触変成岩になっており
三波川帯は
プレートの沈み込みで圧力がかかった
高圧型の広域変成岩になっている。




日本列島は
プレートの沈み込みによって削られたカスが
シワのように溜まっていって、形成されたものだと書いた。



だから、○○帯と言っても
それぞれの地質は単一ではなく
様々な岩石類がシャッフルされた形で存在する。

三波川帯と秩父帯の間
そして秩父帯と四万十帯の間は
それぞれ別の構造線(断層)によって
くっきり分けられている。



面白いのは
三波川帯がジュラ紀から白亜紀に作られ
その外側の秩父帯は石炭紀からジュラ紀の間に作られ
その外側の四万十帯は新生代までに作られているということ。

つまり三層の地質が年代順に並んでいないということ。
これは、地殻の動きの激しさを物語るデータだ。
人間なんてミキサーの中の蟻のようなもんですな。