MINERALOGY
【第13講座】
勾玉の考古学的な考察
勾玉は日本のオリジナル文化ですが
その素材は古来、多種多様です。
翡翠を筆頭に
メノウ、金、水晶、琥珀、滑石などが
その代表的な素材でしょうか。
日本において勾玉が作られ始めたのは
遅くとも7000年前であることが
わかっています。
糸魚川市の「長者ヶ原遺跡」からは
翡翠製の勾玉と翡翠工房が出土しています。
◆
また
青森県の「三内丸山遺跡」や
北海道南部で出土する翡翠が
糸魚川産であることが
分析で判明しています。
◆
縄文時代には
他にも九州や関西にも伝わっていますが
陸路なら近いはずの東海・甲信地方には
あまり伝わっていないようで
おそらく縄文人たちが
海路を交易の手段としていたことがうかがえます。
さて、そんな縄文時代に作られた勾玉ですが
中期以降の代表的な形として
「獣形勾玉」というのがあります。
果たして獣なのか胎児なのか
定かではありませんが
この形は
弥生時代には、さらに洗練されていきます。
ただし弥生時代には
勾玉の一番オーソドックスな形である
「C字形」のものがよく作られるようになりました。
こういったオーソドックスな勾玉を
「定形勾玉」と呼び
「獣形」などを「異形勾玉」と呼んで
区別しています。
(画像は埼玉県埋蔵文化財センターのHPより拝借)
また、弥生時代には
穴を開ける道具が
石製から鉄針に変わり
より小さな穴が開けられるようになりました。
◆
古墳時代になると
勾玉は権力の象徴とされ
古墳とともに埋葬されるようになりました。
この頃には
弥生時代後半から作られ始めた
「丁子頭勾玉」がよく作られたようです。
一説によると
一族独自のデザインで
勢力の広さをアピールしたのだとか・・・。
古墳時代には
素材は滑石が好まれるようになったようですが
翡翠の深い味わいに勝る素材は
ないように思えます。