ラジコンカーの思い出


ラジコンカー。
なんだろう、この独特の響きは。
男の子にとって、やはり操縦するということの楽しみは
永遠のテーマなのだろうか。

小学生の頃、たった一度買ってもらったラジコンカー。

忘れもしない、タミヤの
「ランボルギーニカウンタックLP500S競技用スペシャル」
呪文のように暗記している。



1978年発売の、タミヤ初の競技用モデル。
モーターはノーマルがマブチRS−380Sであるのに対し
初のRS−540Sを搭載した爆走モデルである。

あまりの爆走ぶりで縁石に激突して煙を吐いてお釈迦になった・・・。

当時、前輪の操舵はもちろんのこと
スピードコントローラーもサーボで機動させる仕組みで
送信機でツーサーボを操作する方式だった。



上の写真の中央右寄りの装置がスピードコントローラーだ。
ばりばり、アナログ装置である。

こういう感覚だったので
いざ購入する段階になって、非常に困惑することになる。
知らぬ間に
ラジコンカーの世界もデジタルになっていたのだ。

さて、実は小学生の頃、もう一台ラジコンカーを入手した。

同じくタミヤのコンバットバギーである。



1977年に発売された米軍の実車をモデルとした1/12スケール。
タミヤのラジコンカーとしては4番目で
同社の初めてのオフロードカーモデルとしてデビューした。

やはりモーターはRS−540Sを搭載したが
当時まだバッテリーパックが開発されておらず電池式であったのと
あまりの車体の重さで
かなりノロノロだったようだ。
数年で生産中止になったらしい・・・。



「ようだ」「らしい」と聞いた話のように書いているのには理由がある。
このコンバットバギー、親戚のおじさんの家からもらってきたのだが
壊れていて動かなかったのだ・・・。

ブラックカウンタックは父親が手伝って組み立ててくれたものの
そうそう子煩悩な父親でもなかったので、その後は手伝ってくれず
現在のようにネットで情報を収集できるような時代でもなく
煙を吐いたカウンタックもそうだったが
正直、どうしていいかわからなかったのだ。

そうこうしているうちに
二台ともおそらく捨てられたのだろう。
気がつけば我が家に、彼らの姿はなくなっていた。

そんなトラウマを抱えながらも
おじさんになった今、どうしてもラジコンカーをやりたくて
たまらなくなっている自分に気がついたのである。