【京丹後〜神子畑ツアーC】
2017年7月30日(日)



神子畑の選鉱所跡。



上から鉱石を流し込んで
どんどんふるい落としをしてくる感じだろうか。

一円列車が飾ってある。



玉扇太郎の遊び心に火がついたが
ついた火を若干持て余したポーズ。

お約束の運転席乗車。



一円電車は
1950年頃から80年代まで現役で動いていた
鉱山軌道を走る人員輸送用の列車の通称。
正式名称は「明神電車」

明延鉱山と選鉱所のある神子畑の間をトンネルで結び
最盛期で人口4000人を超えた住民の足となったという。

運賃は当初無料だったのが、五十銭になり
最終的には一円になって定着。

70年代で平均四十円程度の収益であったが
実は、切符一枚の経費が一円二十銭であったとか・・・。
非営利どころの騒ぎではない。

往時を忍ぶ小学校跡。



この建物は体育館だったそうだ。



神子畑の集落は
最盛期で人口1700人ほどであったとか。
現在は80人前後だとか。

廃墟には往々にして
ゆく川の流れは絶えずして・・・やら
祇園精舎の鐘の声・・・やら
いわゆる「無常観」が漂う。



さて、博物館か記念館か知らないが
展示室があるようなので行ってみよう。

あ、巨大ルーレットだ。



説明してもらったが、だいたいよくわからない。

後々に役立つかと、説明書きを激写しておいたが・・・



よくわからない。

中に入ると、外の遺構のミニチュア模型が展示してあった。



手間暇も費用もかかったのだろうなぁと想像できる。

変な玉がいくつか展示されている。
持ってみると鉄球だった。



これをたくさん、ローラーの中に入れて
鉱石を粉砕したのだそうだ。

ボランティアっぽいガイドさんが熱心に説明してくれるが
一番熱心に聞いていたのは
地元のT氏なので
完全に釈迦に説法であった。



外に出て、少し走ったところで記念撮影。

ピースサインをしている玉扇太郎の背後には
現存する日本最古の全鋳鉄橋である
「神子畑鋳鉄橋」が見える。



玉扇太郎が着替えているということは
かなり汗かいたということだが
いったい、どこで何をしていたかはオフレコなので書けない。

最後は朝来インター付近のせんべえ屋で雑談。



ここで解散となり、一路岐阜へ。

帰りも賤ケ岳SAに寄ったのだが・・・
ここで初めて、蛭にやられていることに気付いた・・・。



どうやら神子畑で靴下の中に入られたようだ。
パンパンになってる。

当然のことながら報復攻撃を受けた蛭は
賤ケ岳のトイレに流され消えていった。