MINERALOGY


【第13講座】
勾玉の考古学的な考察



勾玉は日本のオリジナル文化ですが
その素材は古来、多種多様です。
翡翠を筆頭に
メノウ、金、水晶、琥珀、滑石などが
その代表的な素材でしょうか。



日本において勾玉が作られ始めたのは
遅くとも7000年前であることが
わかっています。



糸魚川市の「長者ヶ原遺跡」からは
翡翠製の勾玉と翡翠工房が出土しています。



また
青森県の「三内丸山遺跡」や
北海道南部で出土する翡翠が
糸魚川産であることが
分析で判明しています。



縄文時代には
他にも九州や関西にも伝わっていますが
陸路なら近いはずの東海・甲信地方には
あまり伝わっていないようで
おそらく縄文人たちが
海路を交易の手段としていたことがうかがえます。



さて、そんな縄文時代に作られた勾玉ですが
中期以降の代表的な形として
「獣形勾玉」というのがあります。
果たして獣なのか胎児なのか
定かではありませんが
この形は
弥生時代には、さらに洗練されていきます。



ただし弥生時代には
勾玉の一番オーソドックスな形である
「C字形」のものがよく作られるようになりました。
こういったオーソドックスな勾玉を
「定形勾玉」と呼び
「獣形」などを「異形勾玉」と呼んで
区別しています。


(画像は埼玉県埋蔵文化財センターのHPより拝借)

また、弥生時代には
穴を開ける道具が
石製から鉄針に変わり
より小さな穴が開けられるようになりました。



古墳時代になると
勾玉は権力の象徴とされ
古墳とともに埋葬されるようになりました。
この頃には
弥生時代後半から作られ始めた
「丁子頭勾玉」がよく作られたようです。
一説によると
一族独自のデザインで
勢力の広さをアピールしたのだとか・・・。




古墳時代には
素材は滑石が好まれるようになったようですが
翡翠の深い味わいに勝る素材は
ないように思えます。