はじめに


古事記は日本の歴史において誇るべき「文学」だと思います。

自分はそういう位置づけで、古事記を扱います。
ですから、この時点で「相容れない」と思われる方は
どうぞお引き取りください。

個人が勝手に趣味で研究する内容ですから
当然「学会」ですとか「定説」ですとか
そういったものに縛られるつもりはありませんし
あるいは「反対意見」などがおありの方もいらっしゃるかもしれませんが
一切、受け付けませんし
議論するつもりもありません。

自分は自分の人生において必要なタッチと必要な深さで
古事記を扱うわけですから
誰にどうこう言われる筋合いではないわけです。



「神」の存在について
この場で議論するつもりはありませんが
玉扇太郎のスタンスは一貫しています。

「人格」を備えた神は存在しません。
「目に見える宇宙の力」を神と呼ぶのであれば
玉扇太郎の考え方は、限りなくそれに近いでしょう。

そういった力を
「サムシンググレイト」(偉大なる何者か)
と呼んだ人がいますが
玉扇太郎はこれを採用します。

つまり
神=偉大なる何者か
ということです。



「天皇は神の子孫である」
「日本国民は神の子孫である」
などという妄想を擁護する気はありません。
これらが極めてナンセンスな主張であることは言うまでもありません。



玉扇太郎は「史学」については専門外ですので
そういった方向性の話は
触れたとしても誰かの受け売りです。
持論があるわけではありません。



古事記との比較において
現在は贋物とされるのが通説である
「ウエツフミ」「ホツマツタエ」に触れますが
玉扇太郎はこれらの真贋に関心はありません。

少なくとも「古典文学」という意味では
その存在は紛れもない事実であり
そういった観点での比較対象として
玉扇太郎は躊躇なくこれらの書物を参照します。



ともかく、どちら様も
「場違いな議論」を提起いただかないように
切にお願い申し上げます。