二度目のはじまり
―古事記vs日本書紀―



別天津神(ことあまつかみ)の五柱のあとに生じたのは
クニノトコタチとトヨクモノの二柱。

クニノトコタチは
「国」の「床」が「立」つ、とか
「国」の「床」を「立」たせるなどと解釈が可能だが
そのあたりは
日本語特有の「助詞」のゆらぎがあるので
書いた本人にしか真相はわからない。
いずれにせよ「国土の基礎」を為す神として出現しているようだ。

別天津神の五柱目にあたるアメノトコタチが
高天原の完成を暗示させることと合わせて考えると
対照的なクニノトコタチという名は
地上の完成を暗示させているとも言える。


トヨクモノは
「豊」かに「雲」がたなびき
「野」が続くように・・・永遠に・・・
的なニュアンスであろうか。

この二柱から始まりイザナギ・イザナミまでの系譜を
特別に「神世七代(かみよななよ」と呼び特別視させているのだが
先に別天津神が居たではないか。

別天津神の五柱とは
いったいどのような区別、違いがあるのだろうか。

先の別天津神たちは出現してすぐ消えてしまった。
そして単独神であった。
では次の二柱はどうだろう。

困ったことに
クニノトコタチもトヨクモノも
出現してすぐ消え、しかも単独神なのだ。

おいおい、古事記よ。
この理不尽さ・・・何とかならぬか。

と思いきや
実は、古事記の外に・・・それもすぐ外に目をやると
事の真相が見えてくる。

その外とは・・・ライバルの「日本書紀」である。

日本書紀には別天津神は登場せず
天地開闢のはじめに現れたのはクニノトコタチとされているのだ。

それで
クニノトコタチの名の仰々しさと
中途半端に満を持して登場した感も頷ける。

古事記では
クニノトコタチの前に「別」を追加しているのだ。

なぜそのようなことをやったのか。
おそらく
日本書紀よりも上を行きたかったからだろう。

ただし、ちょっと難しいのは
編纂されたのは同時期で710〜720年頃とされていると思うが
古事記の方が若干早く成立しているようなので
日本書紀を見てから追加した
という姑息なことはさすがにしていないようなのだ。

ただし
お互い、編纂作業が進んでいることは百も承知であっただろうし
日本書紀が真面目に歴史書として作り込んでいる中で
古事記サイドが
都合よく「盛った」可能性は
十分あり得ると思う。

どちらにせよ
元々あった伝承に基づいているだろうから
別天津神が古事記の完全オリジナル書下ろしというわけではないだろうが
まあ、やってくれたな・・・という感じであろうか。

ただし
別天津神の中でも
二番手のタカミムスビと三番手のカミムスビは
ちょいちょい伝承に引っかかってくるが
一番手のアメノミナカヌシだけは
どうやら創作された「抽象概念的な神」の可能性が高いようだ。

逆に考えると
他の神々は元々、何かの信仰対象であったり
言い伝えの主役であったりして
人々の中に息づいていたのかもしれず
であれば
それぞれの神にキャラクター設定をして
どういった神なのかを研究することは
あながちナンセンスなことでもないのかもしれない。