国生み
―権威と真実の狭間に―



さて、二度にわたって子作りに失敗した二神は
天津神らに相談をすることにした。
すると天津神らが言うには
「女のイザナミから声をかけたのがいけない」
ということだった。

なので神殿に戻った二神は
今度は天の御柱を回ると
イザナギから先に声をかけるようにしてみた。

すると今度はちゃんと島々が生まれ始めた。

生まれた順に紹介していくと
まず淡路島が誕生し、次に四国。

四国については
わざわざ「身一つにして面(おも)四つ有り」
と記述されている。

ということは
四国が当時、四大勢力によって統治されていた
あるいは勢力争いがあった
ということをほのめかしているのではなかろうか。

次に隠岐の島、続いて九州。
九州に関しても四国同様
「身一つにして・・・」と四つに分けられており
こちらも四国と同様の政治的背景があったのではないだろうか。

この後は
壱岐、対馬、佐渡島と続き
最後の八番目に生まれたのが
大倭豊秋津嶋(おほやまととよあきづしま)
別名天御虚空豊秋津根別(あめつみそらとよあきづねわけ)
つまり本州。

もちろん一番広い本州が「面○○個あり」とならないのは
すでにこの時、本州は大和朝廷を中心にまとまっていた
あるいは
まとめようとしていた、ということだろうか。

実際、日本書紀やウエツフミなどでは
本州の誕生は、事細かに書かれているのである。
ウエツフミではさらに国外まで論及している。
これはおそらく
日本書紀の方が「事柄を網羅しよう」という意識が強く
古事記の方が「天皇の権威を高めよう」という意識が強かった
のではないかと個人的には考える。

また古事記では北海道、東北、沖縄が誕生しないが
日本書紀では「蝦夷」が登場するので
少なくとも関東以北が知られていなかったわけではないだろう。
ところが古事記でも日本書紀でも
これらの誕生は書かれていない。

これはさすがに日本書紀も
「網羅」より「権威」に傾いたのかな、と考える。

さて、それでは前段で疑問が残った
「なぜ子作りに二度も失敗する必要があったのか」
ということだが
失敗原因とされていることを素直に受け止めれば
「男性を優位に立たせたい」
という思惑があったとしか考えられない。

二度も失敗しているのだから
「男性優位じゃなくっちゃね」
と説得力が増すだろう。

となると
当時、牽制しなければならないような
強大な「女性」権力者がいたのであろうか。
まあ
謎は謎のままだが、面白い。